自分の自動思考に取り込まれないように

自分のメンタルが他人よりも弱いことを実感してから4年ほど。色々な心理や神経やうつ病などの勉強を続けている。自分がよりよく幸せに過ごすためにはどうすればいいんだろうかという視点で考えることが多くなった。勉強していく中で、自分の世の中の捉え方を再構成することが大事なんだろうなと気づき始めている。アプローチという意味では色々あって、マインドフルネス、認知療法やNLPとか単語は違うんだろうけど、内容としてはすべてつながっているということが分かった。

人間が認知をするというのは、五感を通して体が何かの刺激を受ける。脳がその刺激に対して何かしらの感情を生み出す。例えば、犬に噛まれて痛覚が刺激されて、不快の感情でいっぱいになる。でそこから無意識領域の思考が学習する。この無意識領域の思考というのは自動思考とも呼ばれる。犬に噛まれて痛くて不快になるから避けるべきと。次からは犬を見たときに無意識領域の思考から過去の経験をもとに警告を発する。その思考を参考に自分の意識が犬を避けることを決める。

ここで重要なのが、無意識領域の思考と意識領域の自分の意識というものは違うということだ。無意識領域の思考はあくまでも過去の経験から学習した情報を自分の意識に提供しているだけ。次に出会う犬がまた噛んでくる犬かどうかはわからない。ただリスクは避けたいと。でもリスクよりもリターンが大きい場合は思考が提供してきた情報は意識で否定して新しい行動を決断することができる。あくまでも意識が最上位のもので、そこに提案してくるのが無意識領域の思考という形である。

マインドフルネスや認知療法というのは無意識領域の思考を意識の方で価値判断をすることなく、そのまま客観的に見つめる。もし、無意識領域の思考を意識の方で大切に扱ってしまうと、無意識領域の思考はそれが正しいものと判断してしまう。部下は上司の気に入りそうな提案をしたいので、上司の好みがわかればその方向での提案を強化してしまうだろう。無意識領域の思考と意識の間でも同じことが起こっていると考えることができる。

つまりピラミッドでいうと五感=>感情=>無意識領域の思考=>意識という順番になる。そして意識が最上位ですべての決定権は意識にある。認知の歪みは五感から感情、感情から無意識領域の思考への矢印部分で世間一般の人とは違ったフィルターがかかってしまうことが原因である。同じことが起こったときにも違った感情を持ち、誤った無意識領域の思考を引き出してしまう。もちろんこの歪みというのは何に対して歪んでいるのかというと、それは現在の社会になる。一つ言っておきたいのは歪み自体が悪いとは思わない。歪んでいることが逆にその人の個性でもあるからだ。ただ社会の物差しを入れたときに、その物差しからの乖離が大きいと生き辛くなってしまう。程よく社会に合わせて自分の人生を生きることが大切。実践方法については引き続き考えていきたい。

\ 最新情報をチェック /

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です