自己肯定感と自己効力感

私が少し精神的に弱く、不安やストレスを感じやすいタイプの人間であることは今までに散々述べてきたとおりである。精神状態を改善するために重要となってくるキーワードに自己肯定感がある。この自己肯定感というのは厄介で、人によってとらえ方が異なり、色々な意味合いを含んでいる。そもそも自己肯定感を高めること自体にフォーカスされすぎているのはどうかという議論もあるそう。今回「自己肯定感という呪縛」という本を読んで、その点が少し自分の中でもある程度整理がついた。内容について私なりの解釈で説明したいと思う。
まず自己肯定感が高いというのは、自分の結果や成果を信じている状態を指す。そのため、日本の教育は自己肯定感を高めるために今の子供たちの状態を褒めてあげることが重要だとなっている。子供たちのやることに対して否定をせずに、褒めてあげる。モンスターペアレンツが増えてきたこともあり、学校の先生方も叱ることがはばかられているといった意見もあるそう。そして、実際にゆとり教育をはじめとしてあまり子供に強制しない、のびのびとした教育が流行っている。しかし、このような教育では自己肯定感は伸びず、褒めることを重視することはあまりよくないのではないか。正直この辺りは社会情勢や環境等の影響が大きすぎると思っているので、教育だけで何かを結論付けることは難しいとは思う。
ただそういっていては何も論ずることはできない。この本では褒める教育をすることによって、自己肯定感が高まることはないと説明している。今の状態を肯定されることによって、その状態で満足してしまう。向上心が刺激されないので、現状維持を望むようになる。そうなると新しいことに挑戦しなくなるので、自分のできることが広がらなくなる。ここで初めて自己効力感という単語が出てくる。自己肯定感とは今の自分を認めてあげることである。一方で、自己効力感とは今の自分ではできないかもしれないけれど、私が努力すればできると自分の将来や過程を信じることができることを表す。今のご時世では自己肯定感が高めないといけないという風潮が強いし、自分が自己肯定感が低いなと一度思ってしまうと高めないとという焦りから逆効果になる。自己肯定感が低いことを認めて、開き直ってはどうだろうか。それ自体は悪いことじゃないと。
本を読んでだが、人々の考え方が形成されるのに環境の影響は非常に大きいと考える。自己肯定感や自己効力感はどちらも必要で、特にこれらのバランスが大切なのかなと思った。少し話は変わるけれどブータンは世界一幸せな国であったが、最近そのランキング順位が下がってきているそう。自分が幸せなんて言うのは、大人の普通の人はまずは他人との比較で考えることが多いと思う。そういったときに隣の芝生は青いというのもあって、周りには自分より幸せそうな人はいっぱいいる。ブータンの例でも他国の情報が入ってくるようになってから、幸福度が低下したと分析する人がいる。実際にそうだとすると、現代において自己肯定感や自己効力感を維持していくのは大変だなと感じる。グローバル化で世界中の人の情報がオンラインで入ってくるようになった。自分のやっていることはもうすでにほかの人がやっていることが ほとんどだし、その人たちは自分よりもはるかに自分よりも上手である。そういった人たちを見て、刺激になる人もいればその道を歩むことに億劫になってしまう人もいるだろう。ただ先人たちにも同じ時代はあったと信じて、試行錯誤を繰り返していけるような人間になりたい。

