【他人に気を遣うメリットはあまりない、うまく人のせいにしていこう】
これは人生20余年を過ごしてきてやっと気づいたことだが、好きなように生きたほうがいい。もっと早く気付くべきだった。大学の頃は研究室で閉鎖的な空間の中、研究を進めなければとよく分からないプレッシャーを毎日感じていた。それは指導教員からの圧力ももちろんあったが、今考えると自分で自分に課していたプレッシャーだったように思う。自分がやらなければとか、こんなに研究進んでいなくて大丈夫だろうかとか、そんなことばっかり毎日考えていたような気がする。しかし指導教員にしてみれば私の研究が1年、2年遅れようとも大した痛手ではない。これは甘えなのかもしれないが、たとえ研究が進んでいなかろうが、修士論文研究ではホウレンソウをきちんとやっていれば研究が進まないのは指導教員のせいといっても過言ではない(ドクターの場合は自ら独創性を発揮して、査読付き論文を通す必要があるが)。つまり自分を追い込んでも得することは全くない。多少人のせいにしても自分の精神上よいのなら、それはするべきだ。自分がぶっ壊れても人は助けてくれない。
このことになぜ最近になってやっと気づけたかというと会社組織の在り方を知ったからである。今まで私が関わってきた研究室やアルバイトなどの組織は絶対的なトップがいてそこからピラミッドが形成されているという組織である。会社も基本的な構造は一緒ではあるが、一番違うのはトップありきなのか、組織ありきなのかということである。研究室的な組織の場合、研究室のトップである教授が何らかの形で辞めることになれば、多くの場合その組織は解体される。しかし会社的な組織の場合、たとえトップが辞める、異動したとしても組織は同じように残り続ける。誤解を恐れずに言えば、人間は交換可能なのである。管理職ですらこうなのだから下っ端の我々は言わずもがなである。企業の仕事は集合知であるのでもちろん優秀な人が集まれば、仕事は進むだろうし、成果は出やすいと思う。ただ優秀な人でなくてもそれなりに仕事が進むような仕組みが出来上がっているという印象を感じている。さらに大学の研究室との比較で言えば、大学の研究室ではセミナーなど全員が参加して研究テーマの紹介などを行うと思います。企業では技術検討会などはあるものの、同じチーム以外の人が何をやっているかというのは自分から進んで情報を集めなければ、入ってこない。自分の研究で大変な中で、他人の情報を積極的に仕入れよう、コミュニケーションをとろうという意識を持った人は残念ながら少ないと思う。自分の仕事さえやっていれば、その分の給料をもらうという意味では全く問題ない。このような状況で他人の目を気にすることは全く意味がない。何の役にも立たないどころか、むしろ自身をむしばむ毒となる。自分の思いを大切にしなければならないと思った。
